オーストラリアでボランティア
私が初めてオーストラリアのパースに来たのは1997年5月。長女がオーストラリア人と結婚しパースに住むことになったので、かねてから海外でのロングステイをしたいと考えていたこともあり、思い切ってそれまで働いていた三井東圧化学を55歳で早期退職し、妻を説得してパースにやってきました。
4-5年間は海外での生活を楽しめると思っていた矢先、父親が亡くなり、いろいろ悩んだ結果、母親とパースで一緒に住むことにしました。実は、我々は分からなかったのですが、母親の認知症は2年位前から始まっていたようで、3人の共同生活は大変でした。
我々夫婦の負担を少しでも軽くする為に地域のデイケアーセンターや、地元のボランティア団体などに随分助けてもらいました。その後母親の認知症は進み、そのため妻が病気になってしまったのでパースで面倒をみることが難しくなり、そして2000年4月に日本で介護保険制度がスタートした事もあって、東京の特別養護老人ホームに入れることにしました。
ちょうどその頃、パースで初めての日本人をサポートするためのボランティア団体を作ろうという話が持ち上がり、自分も母親の介護の経験を生かし、なんらかの形で恩返しがしたいと、設立に協力することにしました。そして2000年7月“サポートネット虹の会”設立となり、その際私は、認知症の方々を担当することになりました。日本ではボランティア活動もしたことがなく、初めは手探りの状態でしたが、11年目の現在では会員総数150名(寄付をしてもらっている方も含め)のオーストラリアでもユニークなボランティア団体となり、昨年からは会長を務めさせていただいております。
この国では、3人に1人がなんらかのボランティアをやっていて生活の一部となっているので、国の理解も深く”虹の会“は政府が認める社会福祉法人として、国から経済的支援もあるほどです。活動は、パースに住む日本人のサポートで、子育て相談から認知症の世話など多岐にわたり、こちらの資格を有している方々に広く活躍してもらっています。
2007年、母親が亡くなり、その後次女も結婚し、パース在住となり、結局家族全員がここパースで生活し、永住権もとれ現在3人の孫に囲まれ、元気で過ごしています。
パースは、資源ブームで日本人もふくめ、人口が増え物価も高くなり、10年前に比べ生活はやや苦しくなっていますが、この素晴らしい自然環境は、何物にも変え難いと思っています。(10年前のパースの日本人は、3千人ほどでしたが、今は、約3倍です。)
ぜひパースに来られる際は、ご一報ください。 なお“サポートネット虹の会”のホームページをご覧になりたい方は、http://nijinokai.com.au ですので、どうぞご覧ください。