台湾でお礼のマンドリン演奏
南投県埔里鎮は台湾の中央に位置している。有名な日月潭までは車で30分程度の高原の町だ。「紙教堂」はその埔里の町の郊外、日月潭へ向かうすぐの所にある。この「紙教堂」はもともと日本の神戸にあったもの。阪神大震災の時に作られた簡易集会所だが、神戸での簡易集会所としての役目を終え、阪神大震災の2年後に起きた「台湾921大地震」の震源地に程近いここ、南投県桃米村に2009年9月に移設されたものだ。
その「紙教堂」から今日はマンドリンの音が響いている。まだマンドリンが珍しい台湾で、マンドリンの音に乗って、「望春風」や「サヨンの鐘」ばかりでなく、「荒城の月」や「浜辺の歌」が流れている。「望春風」は日本統治の終わり頃に作られた歌。そして「サヨンの鐘」もまた同じ頃の歌。渡辺はまこが歌った日本人教師と教え子との悲しい歌で、今なおポピュラーな曲だ。それらの曲が会場一体となって響いている。歌っているのは台湾の人たち。マンドリンを弾いているのは九州大学マンドリンクラブOB総勢18人で、その平均年齢67歳。一見不思議な光景であるが、当事者には全く違和感がない。日本人に非常に好意を寄せる台湾の人々に混じるとそこには国境もない。音楽だからなお更だ。みんな心をあわせて台湾の歌と日本の歌を普通に歌っている。
演奏に先立ち、東日本大震災に対する台湾からの驚くほどの義援金について御礼の言葉を指揮者に述べてもらった。200億円を超えるこの義援金が多くの台湾の人たち、しかもほとんどが民間から寄せられた。日本語世代ばかりでなく、老若男女を問わず、2300万人の台湾の人々が等しく日本の災害を「自分のことのように」憂えているという。そんな人たちが聴衆だから、東日本大震災の被災者にあらためて心を寄せ、一緒に憂いをこめて歌っている。次から次へとアンコールがかかる。もちろん演奏する自分達に異論はない。そんな演奏が全て終わったにもかかわらず、遅れて来た高雄からの観光客から「自分達にも聞かせて欲しい」と更に要望され、アンコールのアンコールとなり、心がひとつになる演奏会であった。
翌日の地元新聞に心温まる日台の交流が報じられたのは言うまでもない。「表達対台湾大力賑済311日本大地震的感謝之情」という見出しで、大きな写真入であった。わざわざ日本から義援金のお礼の演奏に来たことになっている。今回の一連の演奏会を企画実行した自分も写真に映り、名前も報じられていた。ちょっと大げさになったかなと思わないでもないが、台湾の人たちの温かい気持ちに大きく感謝している日本人がいることが少なからずいることが少しは伝わったのかなと自負している。震災後、台湾へ行く度に、そして台湾人に会うたびに一日本人として義援金のお礼を言ってきた自分だが、このような形で日本人の気持ちが台湾の人に伝わったことは大きな喜びであった。
自分はここ数年で10回ほど台湾へ音楽を楽しみに行っている。マンドリンの演奏会は今度が3回目。今回の演奏会の面倒を見てくれた蔡さんは元中学校の校長先生だ。司会の陳さんは南投県音楽協会理事長で二人ともカラオケ仲間。埔里へ来るたびに昼間からカラオケを楽しむ仲間だ。こうした人たちの助力で開催した今回のマンドリン演奏会は合計5回もの演奏会となった。台南市では奇美曼陀鈴のメンバーとの合同ステージもあって1000人ほど入る大きなホールでの演奏会となった。
今後ともマンドリンと歌で台湾との交流を深めたいと思っている。
1968年入社
落合英実

テレビカメラも入って(前列左から2番目)

2回目の演奏は上着もネクタイも外して(前列左端)

台南の演奏会場で(バックは奇美萬陀鈴楽団)